東北旅行のこと

 

1週間、東北旅行に行ってきました。

仕事に追われることなく、なにを心配することもなく、ただひたすらやわらかな景色とおいしいものに浸る旅行ってとても幸せなんだな…。転職時にしかなボーナスタイムをしみじみ味わいながら旅行してきました。

 

まず、福島へ。

自然に囲まれたホテル。北欧家具やあたたかみのあるつくりでとても癒されたなあ。

温泉の後に好きなドリンクを飲めたり、夜食が届いたり、細やかなサービスがうれしい。

 

ずっと行きたかった諸橋美術館にも行けて満足。

展示の切り口が攻め気味で面白く、ゆったりと作品に触れられたのがよかった・・・

思った以上に外観もきれい。

 

東京よりもぐっと寒くて、紅葉がきれいに見られた。ざくざくと落ち葉を踏んで散歩するのが楽しかったなあ。

 

翌日は山形へ。こちらもひんやりとした空気。

ハムの有名なお店に行って感激。好きな人が好きなものを作っている空間ってやっぱりいいよなあ。ただ、もともとお肉をたくさん食べられる性質ではないので、ちょっと胃もたれ気味でおいしく食べきれず残念。

 

翌日には、水田に囲まれたブックホテルへ。ホテル自体も広々しており、窓も大きく、水田の豊かかつ静かな風景が広がっていて本当に気持ちがよかった。

本のセレクトも面白くって、ずっと滞在したくなる。中島らもの本を読んだ。

 

ちなみにサウナを推しているホテルだったので、はじめてちゃんとサウナに入ってみた。じわじわとした熱さにこらえつうつ外気に触れた時はふわ〜っと気持ちよかった。

とにかく夕焼けと、水田と、水田にぷかぷか浮かぶ鴨を見ながら入る温泉が天国のようだった。

 

山形でいただいた田楽、めちゃくちゃおいしかったな。

食べ物の旨味がぎゅっと凝縮されている感じ。いろりの炎もなんだかあたたかかくて癒された、

 

それから、岩手の遠野へ。

とにかく静かで夕方以降は光もまばら、人もあまり出歩いてない。星がよく見えた。

ずっと楽しみにしていたオーベルジュは独特の雰囲気。「わあ」と感嘆の声をあげるわけでもなく、ただただ滋味深く体にすっと入ってくるような料理を味わえた。

お魚が本当においしかったな。手間暇と情熱が乗ったお料理。その熱さに負けまいと必死で食べた感じ。

 

朝ご飯の玄米のおかゆ、お魚、おいしかったな。

 

遠野博物館、意外としっかりした作りで楽しかった。水木しげる原作のアニメ短編映画も見入っちゃった。ちゃんと勉強したらもっと面白いんだろうな。

立ち寄った地元で有名なお菓子屋さん。とっても品の良いおばさまがすっと代表商品を食べさせてくれた。ふすっふわという、絶妙な噛み心地と主張しすぎない上品な甘さ。そして名前の美しさ、おばさまの佇まいや接客とともにクラクラしちゃって、まんまといただいて帰りました。

 

そのあと南部鉄器屋さんで鉄器を変えた!

家で白湯を飲んでみたけど飲み口がまろやか・軽やかで、なんだかご機嫌になる感じ。

 

さて、続いては仙台。

今風のミニマルなホテル、ミニマルすぎてやや味気なかったな。

せり鍋はもはや締めがメインって感じでおいしかった。

 

翌日は松島!天気も良くて平日だからごみごみもしてなくて最高だった!!

水面に反射する光が大好きなのでたくさん見られてテンションあがった。

観光ぽいことようやくできたな。

牛タンは、今まで食べた中で最高!ぷりぷりで熱くて、塩気がじゅわっとあふれて、麦ごはんと書き込むのが最高においしかったな・・・

 

二件目にはバーにいったんだけど、アットホームな雰囲気で人間観察するだけでも楽しかった。ワインも料理もおいしくって、家の近くにあったら通いたくなってたなあ。

 

その後福島に戻り、彼の実家へ。愛のこもった贅沢な夕食をいただきました。

白子も、春巻きも、スペアリブも、私の好きな浅漬もおいしくって・・・良いお酒もいただけて上機嫌でした。

酔っ払って彼が「最高の彼女だよ・・・」と何度も何度も言っていて面白かった。

 

東北旅行をして、その土地に根ざしたご飯をたべることの尊さやすばらしさを実感した。あと東京みたいにせかせかしていなくて、ゆったり自分のペースで自分の好きなものを守りながら生活している空気があった。やさしい人ばかりだったし、天気にも恵まれて本当に楽しかったなあ、

 

散歩が気持ちいい季節になった。

少し肌寒いけど、散歩するとだんだん身体があたたまってきて、どこまででも歩けるような感覚。

 

仕事を辞め、平日までもが自分だけの時間になった。

やるべきことはリストアップしていたので、時間を無駄にすることなく、毎日気持ちよく生きていられる気がする。

 

とはいえ、癖が抜けず7時には起きてしまうのでたまにうとうと昼寝してしまうのだが・・・。

好きなものを探しに出かけたり、好きな季節を肌で感じたり、思う存分スキンケアに時間をかけられたり、自由でいられることは本当に気持ちがいい。

 

まだ転職先が決まっていたにというのに、心穏やかで呑気なものだ。

 

火曜日、転職候補先の人3人と一気に話した。緊張はしたが、大人なコミュニケーションがなんだか合う気がした。どんどんわたしの気持ちはこの会社に傾いてはいる。

 

水曜日、二子玉川で買い物。久々にじっくり見て、悩んで。いま直感で欲しいものより、今後の自分に合いそうなものを選んだ。

エレガントで、自分の体にあっていて、雰囲気が出る服。

夜は元同僚たちと久々に飲んだ。人には人なりの生き方や、軸があり、みんな違うんだなと当たり前のことを感じた。

 

木曜日、役所にきちんと行った。ひとりで、迷うことなく役所だっていける。わたしはもうすでに立派な大人だ。(当たり前だけど)

パパと久々にランチ。たわいのない会話ばかりだけど、落ち着く。会社を辞めた話をしたけど、特段心配している様子はない。もうわたし、大人だもんねえ。

 

金曜日、冬の防寒グッズ溜め街。もこもこの靴下やインナーなどなど。賢く暖かくなる術を知っていることに、生きてきた年月(20数年間)を知る。

神田古本まつりに行った。平日なのに人が多くて、驚いた。直感で惹かれた本を1冊だけ購入。そのあとは九段下の図書館で、仕事に関する本を読んだ。昔からこの図書館が好きだ。落ち着く。

さすがに本を凝視しすぎてつかれたので、コーヒーを飲みつつママのお店へ。

鴨肉を一人でぺろっと食べた。カボチャ入りのクリームニョッキがおいしかった。わたしの胃袋は、最近底知れずだ。

 

土曜日、部屋の掃除をして歩いて渋谷へ。最近、どこ行くのにも歩いていくのにハマっている。

恋人の家族へのプレゼントを探したり、お互いの秋冬ものを探したり。

恋人が買っていたアルパカのカーディガン、とっても色味がきれいでよかったなあ。

なかなかしっくりくるコートが見つからないわたしは何度も右往左往。私の冬はなかなかに始まらないなあ。

 

日曜日、雑誌で一目惚れしたコートを買いに代官山へ。早朝の買い物、なんだかリッチな気分。

結局グレーのファーコートがしっくりきてそのままお買い上げ。今年の冬は、上品ないい女になれそう。

 

わたしの冬、そろそろ始まるなあ。

月が良く見える

最近は、悪夢を見ることが多い。

大学を中退してしまう夢、首を締められる夢…などなど。

 

中途半端になっている自分に、不安になっているのかな。

退職決めてから、面倒な案件があっても「ま、やめるしいっか」と寛大な気持ちで仕事できているから大きなストレスはないと思っていたけど、なかなか転職先が決まらなかったり自分でもいまいちなにをしたらいいのかわかっていなかったりと、宙ぶらりんになっていることにストレスを感じているらしい。

 

急に寒くなって、身体も心も敏感になってきているように感じる。

天気が悪くて、何もしたくなくなったり動けなくなったり。下手するとずーんと落ち込んでしまう。

どうにか、自分のバランスを保たないと、と思う。

 

昨日は目黒区美術館へ。藤田嗣治の展示があったので。

わたしは作家の手紙が好きなのだが、藤田の手紙は感情表現が豊かで、挿絵も感情を爆発させたチャーミングなものやユーモアなものが多く、もっと好きになった。

絵葉書は、今の時代にも通ずる小洒落さ、色使い。わたしは藤田嗣治の色使いが好きだ。いろんな色が使われているのにくどくなく、でも目に止まったら目を離せない。

 

優しく繊細な線、対象物への感情や温度感が細やかに刻まれているように感じる。

こうやっていろんな作品に打ちのめされている瞬間は、本当になにも考えず、心が満たされていくなあ。

 

もう気づいたら10月で、今月には仕事を辞める。

金曜日、湯船につかりつつこの約3年のことに思いを馳せていた。

 

3年前、わたしはもっと何もできなかった。胸を張ってやってきたこともなかった。

今の会社で、はじめてのことにたくさん触れ、自分でやってこれた!と言えることが本当に増えた。少しだけ自信が持てるようになった。

たった3年だけどれど、わたしの社会人生活の中でこの変化はとても大きいと思う。30代手前にして、仕事への姿勢を見出せたことは幸せだったと思う。

 

次のチャレンジがしたいな。

雨の音のなか、うとうと眠る

もう気づいたら、9月の半ば。

3連休を台風で潰しつつ、(まあ元からなんの予定もないのですが)ぼーっと生きているとあっという間に日が過ぎていく。

少しだけ涼しくなってきて、秋服を見るのが楽しくなってきた。しかも11月に旅行の予定が入ったから、なおさら。

やっぱりご褒美がないと、生きるのがなあなあになる気がする。

 

今週は、ぽつりぽつりと同僚たちに退職のことをつけ始めた。

さみしがってくれたり、残ってる間にあれを教えて欲しいと言ってもらえたり、その度に少しのさみしさは感じるけど、まだすっきりしている気持ちの方がある。

 

「やりたいことがあるのがうらやましい」と言われて、はっとする。

明確な理由があるわけでも人生設計があるわけでもないけれど、漠然と新しいチャレンジをしたいという気持ちが強まって、退職すること、それはやりたいことを目指していく風に見えるんだなあ。

 

月に一度のひとり焼肉ランチdey。

とにかくもくもくと肉を焼き、今の自分の気持ちと向き合う、ある意味デトックスな時間。まあ大抵、二日酔いを経験した週に反動で食べたくなるんだけど。

 

いつも無愛想な店員しかいないのにひとり明るい店員さんがいて、お店の雰囲気が変わってて驚いた。たった一人の行動で、その場の雰囲気って変わるし、人の気持ちも動いたりするんだよなあ。そういう前向きなオーラを持った人には憧れます。

 

そういえば、先週末ずっとみに行きたかった「恋する惑星」を映画館で見れた。

香港の湿り気、ネオンの明るさ、いろんな欲がまぜこぜになった暑苦しさ・・・一気に香港のあの時代の空気感に惹き込まれた。

 

どんな時代でも誰かに惹かれる恋っていうのは、懲りることなく生まれていく。でも永遠じゃないから恋であって、熱いんだろうなあ。

 

ぼーっと余韻にひたりながら帰った。他の作品も間に合えば見たいな。

自分の好きを再確認するのはたのしい。

 

転職もすこしだけ前進した気がする。

でも、これが本当にやりたいの?と問いかけるとまだ大きく頷けるものはなくて。。。

転職は、能力だけじゃなくフィーリングが本当に本当に重要なんだとは思う。

心から大きく頷ける仕事に出会えるかな。もう一度わくわくできるかな。

涙がでるくらい、何かに没頭したりできるだろうか。

 

まだ不安だけど、夏から秋にかけて、確実に自分の未来をほんの少しだけ前進させているような感覚はある。もうちょっと、進まないと。

しゅふしゅふの心

ついに、2年半を過ごした会社を退職する決心がついた。

春ぐらいからずっとモヤモヤしていて、でも会社の空気や気風が自分に合っていると思っていたから簡単にはやめられず、くるしいときが続いていた。

 

ただ、夏を経て、自分の好きなものへの再確認をしていくうちにようやく勇気が出た。

ふんわりしていた転職活動、なかなかむずかしいものだ。

 

知人から声をかけられ、ずるずる受けていた出版社は

正直、スピード感もくそだし、同じ質問何度もしてくるし、挙句の果てに「中途は契約社員しか難しい」というので辞退した。

大学卒業時には切望していた出版社だったが、本当に入らなくてよかったと心から思う。

 

ただ、転職活動で挫折するのもいい経験だ。

現職ではそれなりに意見を言える立場だけど、社会的な眼でみたらわたしの仕事なんて本当にちっぽけで市場価値もよくわからないし、異業種への転職となるとこころもとないことが多すぎる。

 

同時に、現職でカジュアルな面談を候補者と行うこともあり、

わたしは面接を受けたり、相手したりを同時並行している。

 

面接官をやると、「あ、聞いた質問と的外れな回答だな」とか「ひとつの質問に対して回答が長すぎると飽きちゃうな」とか、そういう小さな気づきがぽこぽこ出てきておもしろい。

 

どうでもいいけど、相反する?生活のせいなのか、なんとなく心がぼんやりしているというか、小さなミスが増えてきている。

 

それも、固有名詞の間違いや。変換ミス、よみがなが一つ多いとかそういうの。

固有名詞の間違いは本当に失礼だと思うでの、気をつけないと・・・・

 

昔から、こういう変なところでミスったり選択を間違えがちなので、気を引き締めなきゃなと思う。

 

なんとなく、部屋も汚いし、心が整理されていない気がする。

今週末は予定はないのでゆっくり過ごしたい。

 

ずっと見たい映画を明日は見に行けるので気分がいいぞ。

Netflixを超えたところに、探してたものがあったり

お盆休みだ。例年とくになにもしないが、今年は猛暑にやられて特に「なにもしない」を極めている。

 

恋人が登山に出かけたので3日間つかのま一人暮らし。

だらだら起き、好きなものを食べ、好きなドラマやYouTubeをみて、酒を飲み、だらだらする。そんな自由時間が贅沢で楽しくて仕方ない。

 

とはいえ、暇を極めていくとぶつかる「なにも見るものがない」問題。

Netflixやアマプラに飽きた私が行き着いたのは、Abemaだった。

 

もともとK-POPコンテンツが豊富なのでちょこちょこお世話になっていたが、しっかりドラマを見たことはなかった。しかし暇を極めしわたしは、ついにAbemaのプレミアム会員登録(2週間は無料)に手を出したのであった。

 

一気見、という夏の贅沢を存分に味わった結果の雑な感想を残していきたいと思う。

 

①アニマルズ(abemaオリジナルドラマ)

もともとハロオタだったわたしにとって、もはや伝説となっている鈴木愛理さん主演作品。愛理の演技、しっかりと見るのも初めてな気がする。

 

なんとはなしに見たが、TVの制作会社で社畜極めし主人公が、自分のやりたいことを探しつつ、いろんな人と出逢いつつ、成長していく〜みたいないかにもな日本のドラマなんだが、結構感情移入して見れてしまった。

 

まず主人公が同世代、かつ「このままでいいのかな…」という人生への漠然とした壁にぶつかっている点が非常に共感できた。そのままやんやあって、今の環境とは全く違うコスメベンチャーに入社(コスメベンチャーとは!?)するのだが、気持ちいいくらいのパワフルさで仕事を楽しみ突破していく姿にはぐっとくる。いいなあ、わたしもあんな目をキラキラさせたいなあという気持ちになったり。

 

お決まりの恋愛模様もにこにこ楽しめたし、なにせ愛理のスタイリングがとても似合っててかわいかった。

わたしはアイドルのスタイリング厨でもあるので、素人のくせにやんやうるさいのだが、しっかり愛理・かつ主人公のキャラに合っていて、見ているだけでも楽しかった。

 

 

②影美女(韓国ドラマ)

さて、こちら変わって韓国漫画原作らしい韓国ドラマ。

なんとなく昨今のルッキズムに対する作品のように見えた。

 

韓国ドラマらしいテンポではらはら展開が続きつつ、10代の思春期ならではの青い暴力性や未熟さ、複雑をちりばめつつ、最後は清々しいラストを迎える成長物語に仕上がっていた。加工して美女になりきりSNS上で女神になった主人公の物語…とだけきくと、昨今の闇を孕んだ「整形水」的なラストかと思って身構えていたのだが、段々と成長物語・勧善懲悪ラストだったので、気持ちよく見られた。

 

人公、そしてクラスメートの女の子どちらにも共通していたのが「心の奥にある自己嫌悪、疎外感」そしてそこから生まれる美への執着というのがドラマ内でしっかり描かれており、わかりやすかった。誰もが少なからず感じるよね、特に10代は。

 

大切な人と出会えて、肯定してもらえる過程を経て「自分は自分のままでいいんじゃん」「#love my self」な締めくくりになったのはポジティブな印象。自分のまわりに本当に自分を認めてくれる人がいれば、本当はそれで充分なんだよね、でもそれって大人になってからのほうが気付けるんだよなあ(とはいえ、大概はそのことに気づけないし、そう思えない世の中があるのは事実)

 

偶然か、どちらのドラマも最終的には自分を認めてあげようよ、自分をもっと好きになって好きに生きようよ!というメッセージを残した作品だった。

こんな作品を引き当てたのも、自分のなかにそう肯定してほしいきもちがちらちらあるからなのかもしれない。

 

なんとなく、いまの流行りでもあるよなあ。自分のままで好きに生きよう、メッセージ。

 

その自分が、その好きが、何かわからないから戸惑うことも多いんだけど。

でも自分のどんな感情に集中して判断したり、生きていくべきなのかはわかったりするよねえ。

 

 

東京都写真美術館のきおく

わたしは、写真がよくわからない。

昔から、周りに写真を仕事にしている人が結構多く、写真の魅力や静かな熱意をたくさん聞いたことがあるはずなのに、よくわからない。

どこまでが本当で、どこまでが意図的なのか、よくわからないのが怖いのかもしれない。

 

ただ、たまに行きたくなるのが恵比寿の写真美術館。1年に1、2度程度だけ行く。

 

今回はメメントモリの展示に関心があり久々に足を運んだ。

同時に開催されていたアヴァンガルド勃興も面白かったので、印象だけ残しておく。

(写真NGだったので写真はないから、印象だけ。)

 

まずアヴァンガルド勃興。

初っ端からマンレイの写真。わたしはシュルレアリスム感じるアーティストが好きなのでうれしくなった。大学の授業ではじめて知って衝撃を受けたのがなつかしい。

 

あとはほとんどが日本の前衛写真集団?の作品で、初めて知る人ばかりだったがなかなかに面白かった。

これ、どうやって撮影したんだろう?どこまでが創作なんだろう?と思わされる写真や、日常を切り取った写真が他のものに見えてくる面白さ。

 

目を奪われたのはこのへん。

月の夢想

 

写実的であることだけを良しとしない、写真の自由さというものにはじめてちゃんと触れられた気がする。

 

 

続いて、メメントモリと写真。「死は何を照らし出すのか」

写真はメメントモリである、とあらゆる解説で言っていた。

生きている一瞬を映し取る写真が、逆説的に生き物の限りあるいのち・永遠ではないいのちを説明している。ほう。

 

ポスターにも使用されたこの写真、タイトルがいいなと思った。

「やがて死がやってきてあなたをねらう」

 

「ねらう」という表現の逃れられなさ。しかし、わざわざ死すわたしを探し回っているかのようなおもしろさ。

 

荒木経惟〈センチメンタルな旅〉の写真も改めてよかった。

編集者?にあてた直筆の手紙がもっとよかった。

世の中に嘘くささが蔓延っていること、ほんとうのものを表現したいこと…そんなようなことが強い筆でかかれていた。

 

藤原新也の作品が強烈で印象的だった。

羊の死骸?生贄?の写真についたキャプション、

「死とは、死を賭して周りの者を導く、人生最後の授業だ」という言葉がひどく残った。

 

ショッキングな写真が多いものの、ユーモラスだったりポップなキャプションに囲われて、死が哀しいことではなくその人自身を浮かび上がらせる"さいごの舞台"であるような表現がなされていて、前向きなにおいを感じた。

 

死を考えたら、どうしたってこわいし、死にたくないし。

でも、どう死ぬかって自由がきかないようで実は自分の自由な部分もあったりして、

「どう死ぬのか、死ぬまでの教養を生きている間にやしなえ」的な考え方はありなのかもしれないと思えた。

 

死を想うこと、それだけで「明日も頑張ろう!」みたいな単純な思考にはなれない。でも、必ず自分をねらいにくる死をどう受け入れるかは、きっと自分の最後の正念場であったりある意味表現の場なのかもしれない。

毎日、たたかって生きているようですごいな。