国立西洋美術館のきおく

 

ああ、なんかつまらない。

そう思って急遽午後休をとった。8月にしては珍しく曇りの日で涼しかったので、ブルーのワンピースを着て、わたしは上野に出かけた。人と会う時にはなんだか気恥ずかしい色鮮やかな服、なぜかひとりのときのほうが自由に着れる。

 

なんだか、深呼吸をしたい。

そう思って向かったのは上野にある国立西洋美術館

印象派の作品はそれまで特段好きというわけではなく、最後にしっかり見たのもパリに行った時…という具合の浅い知識と好奇心だったのだが、なんだか無性に綺麗なものを見て深呼吸したくなったとき、目に入ったのがこの展示だった。

 

結果、きれいなものをきれいと感じる感受性が自分のなかでまだ死んでいないことを実感し、わたしは存分に深呼吸ができたように思う。

 

夏休み期間というのもあり、若干混んでした。わたしは心根が不埒なので、人の合間を縫い縫い、うまく人がいない絵を盗み見ては他の絵にふらふら飛んでいく自分勝手な見方が得意な人間。

 

展示室に入り、いくつもの美しい空の絵が並んでいたので、すっと心を現実から離れさせることができた。

 

ここからは印象の残った作品をいくつか挙げていく。

(常設展示作品は撮影OKとのこと。撮影OKかNGかが記載されているのが、親切だと思った。最近は日本の美術館も撮影に寛大?)

 

ナポリの浜の思い出」

大きな縦長の絵。夕方だろうか?沈みゆくオレンジの日差しが雲の切間から滲んでいる様子も美しいが、真ん中で楽しそうに帰宅する女性の姿があまりに素敵で印象に残った。

思わず、片手をあげている。赤ん坊をあやしているようにも見えるが、わたしにはなんだか「ナポリめっちゃ楽しかったいぇーい!」的なギャルマインドエンジョイの表現に見えた。はつらつとした思い出の香りがいいなと思う作品。

 

 

「ビルニッツ城の眺め」

この海外の窓(なんて呼ぶのだろう?)、海外に旅行したのことがなんだか思い出される。そして、四角のなかにきちんと美しい景色が詰まっている様子になんだかきゅんとしてしまう。時間が溶けていくような空のあわいが、とても美しかった。

 

「船遊び」

若い女の子がたくさんこの作品に群がっていた。でも気持ちわかるよ。

わたしも角からこの作品、色味が見えた時思わず目を離せなくなったもん。

涼しげで、優雅で、きらきら見えた。見るひと(書き手)のことなど意識せず、その時間を楽しんでいる瞬間が切り取られていたようで、わたしたちがかつて永遠に感じていた少女時代の夏に通ずる身勝手さがよかった。

 

 

「陽を浴びるポプラ並木」

夏を感じさせる元気な空色とほのかなピンクのコントラストが美しい、ポップだなと初見では思った作品。しかし解説を読むと、これは季節の時間的な推移を表現したような作品らしい。言われてみたら夏の盛りでありながら、なんとなくその先に秋というか「夏の死」を予感しているようにも見える。

なんでも一番盛り上がっている"盛り"が最も楽しくうつくしく、でもそれって長くは続かないんだよねみたいな普遍的な無情さを孕んでいて、ああ人生と思う。

 

 

 

「睡蓮」

言わずもがな、有名なモネの睡蓮。

わあ、きれい。部屋に入った瞬間大きな睡蓮の絵が、色が、目に入ってきて心がうるうるした。

いちおうスマホで撮ってみたけど、やっぱりこんな写真じゃなんにも伝わらない。どの作品にも言えることだが、実物を見るとそこでしか感じられない光や鮮やかさがあって、胸がどきどきする感覚は写真や教科書では一切伝わらないだと改めて感じた。

はぁ、きれい。

 

「ばら」

ゴッホのばら。その辺に咲いてそう、小さくて、慎ましいばら。

日常の身近な場所にうつくしいものを発見した時、「わ、現れた」と思う。もともとあったはずなのに。

 

「舞台袖の3人の踊り子」

ドガの作品。踊り子とか、舞台裏とか、エンターテイメントの裏側みたいな作品だいすき。これも暗いけどなんかいいな、くらいに思って解説を読んだら3人の踊り子の間にシルクハットをかぶった男性が浮かび上がっていて想像を掻き立てますね…的なこと書いてあって、「急にラブサスペンス?!」と思って惹きつけられてしまった。

3人の女性と、1人男性。妄想は無限大。

 

 

熱心にというよりかは、作品の魅力をついばむくらいの軽い足取りで企画展と常設展をみて、1時間半ちょっと。

 

風景作品からは、その季節ごとのにおいが身体に広がっていくようでちょっとしたタイムトラベル気分を味わえたり、美しい絵をみたときには心拍数がぴっとあがるような高揚感を味わえた。

 

美術の歴史とか、画家とか、詳しいことはなにもわからなくても

わたしは美術館で深呼吸するのがだいすき。

 

 

夏はようよう来たりぬ

先週枯渇していた元気を取り戻すように、できるだけ健康に元気に生きようと意識した1週間だった。

週に2度もヨガやピラティスに通い、平日はなるべく自炊をした。ちゃんとした生活と運動をすると、人は自ずと元気になっていくんだと体感した。

 

金曜はひと月ぶりに同期と会い、新泉のおしゃれなお店で酒を飲んだ。

人が平気で死ぬような暑さのなか、テラス席で、酒を飲み飲み、愉快だった。

でも金曜の渋谷はタクシーが全然捕まらなくて、結局歩いて帰った。くるタクシーすべて緑のランプで、「空車」の赤いランプが全く見えず、軽い失望のなか、歩いた。ひさびに本当に孤独だったと思う。ようやくシャワーを浴びてベットに入れたのは4時ごろだった。

 

土曜日、カンカン照りだったので昼間は冷房のきく部屋でだらだらと過ごした。

いつも通り洗濯を3回回し、ぼうっと動画を見る。洗濯物が一瞬で乾くのはきもちいい。どんなものも、本当にカラッとすぐに乾く。後腐れがなくてよいね。

 

夜は、武蔵小山に行く途中にある蕎麦屋へ。

なぜか無性に蕎麦と酒を楽しみたくなって、予約してもらった。

奥まで味がぎゅっとつまった黒胡麻ごぼう、むちむちのさつま揚げ、爽やかさが染みたいわしの梅煮。瓶ビールの軽やかな苦さが、これまた大人の楽しみ方って感じでいい。

麦焼酎は、ほのかに蕎麦の風味を感じた。江戸切子、焼酎をいただくほどに底の美しさがチラチラ見えてきれいだった。

おそばは、しっかりとコシがあって、そばの味がたっている感じ。「蕎麦の良し悪しなんてわかるのかねえ」と半信半疑だったが、つゆに負けずに蕎麦の味がちゃんとして、ちゃんと脳みそにまで届いてくるのは”本物”って感じがした。

 

蒸し暑かったけど夜はちょうど良い。三日月がいつもよりくっきり見えた。

花火をしている家が何軒かあって、「もう7月なんだ」と気付かされた。

 

動物に会いたい欲が高まっていたので、日曜は井の頭動物園に行った。

暑さが不安だったけど、くもりだったのでギリギリ生きていけた。

 

こぢんまりした園だったけど、動物の檻はわりとゆとりがあってそれぞれが伸び伸び自由に生きている匂いがして、いい場所だった。個人的に会いたかったフェネックがずっと眠っていたけど思ったより小さくてふわふわでとっても可愛くて嬉しかった。

 

カレー屋さんに並んで、ひさびさの欧風カレー。らっきょうと福神漬けがおいしい。

肝心のカレーもコク!あまさ!どん!って感じでカレーの強さを改めて感じさせられた。カレーは外出時しかほとんど食べられないからうれしい。

 

新宿に移動して、買い物。

プラダのバックか、ジルサンダーのバックか迷って、結局ジルサンダーを選んだ。きちんとブランドもののバックを自分で買ったのははじめてだ。

ジルサンダーのバックは、持った時になんだか”しっくりきた”。プラダを買おう!と意気込んでいったくせにジルサンダーを買ったのは、こういう雰囲気になりたいという願望と、わたしが元来持っているスタイルに合うようなきがしたから、。不景気だけど、これから無職になるかもしれないけど、いいんだ。わたしはこのバッグが似合う女になって、もっと良い場所にいってやるんだから。

 

恋人も新しいスニーカーを買えてご機嫌そうだ。

互いに、似合うものを言い合って、結局どちらも恋人がすすめたものを買った。

自分よりも自分のことを知っている人間がいると、とても心強い。

 

ショッピングバックを揺らしながら帰る時の、あの無敵感。

ああ、わたしはこういうのを買って、こういうのが似合って、素敵な場所にいける人間なんですと主張している気分できもちがいい。値段のことを考えるとちょっとうっとなるけれど、いいものが自分を輝かせてくれることを知っているのが大人だ。

 

そういえば、なぜか空前の帽子ブームが到来し、今週だけで3つ購入した。全部ネットで。

推しがライブで被っていたadidasのネイビーのキャップ。水色がかわいいナイキのキャップ。再入荷したから勢いで買った黒いハット。

ぜんぶうれしいんだけど、なんだかボブだと子供っぽくなったりしっくりこない部分があって、髪を伸ばそうと決めた。

そして、予定があまりないから、予定をたてたいな。帽子をかぶるほど、太陽の下を歩くような予定がこの夏は作れるかしら。

 

最近暑さで朝方に起きてしまうので、なんだかぼんやりねむい。

来週もどうにか健康的な生活を送り、自分をたのしませ、生きたいなあ。

あ、来週は飲む予定が3つもあるんだった。あんまり反省せず、ただ楽しんで過ごしたいな。夏だしね、馬鹿になった方がよかったりするよね。

しけしけの銀座

家に帰ると、すっかり魔法が解けた気分。ああ。

 

今日は久々に昔の恋人と会った。

昔とはすっかり変わって、お金も持てるようになって、身だしなみにも気をつけ、最近はややモテ期らしい。

 

銀座の老舗のバーで、空きっ腹においしいお酒。

わたしがいただいたのは日向夏のカクテル、ジントニック、桜のカクテル。全部ていねいに作られた美味しさ。良いお酒はどうしてこんなに軽くて、いくらでも飲み込めてしまうのだろう、

 

彼も、仕事をやめ、新しいチャレンジを始めるらしい。夏までに仕事をやめ、今年は仕事はせず旅行をしたり様々なことをしたいそうだ。

 

「一緒に旅行に行こう」と仕切りに言う彼をかわしかわし。

付き合ってる時は、まともにデートにも行けなかった彼が、いまやごはんの予約から、素敵なバーまで連れていってくれて、旅行にも行こうといってくれている。本当に変わったね。

 

彼は本当にお金がなくて、当時わたしの部屋(狭い1k)に転がり込んでいた。

働く時間もすれ違って、まともにデートもできなくて、今ではどんな風にあの狭い部屋で一緒に住んでいたのか思い出せない。

 

それでも、あえば、共に過ごした時間のはしばしを語り合う。

よくいった居酒屋、蕎麦屋、いつもご飯を頼みすぎること、お酒を飲んだらすぐにベットによこになってしまうこと。

 

覚えてないようで、実はいろいろ覚えているんだよなあ。

 

バーに行ってから、中華料理屋へ。普通が逆だよね。お店に行く頃には、すっかり酔っ払いモード。

 

彼は酔っ払うと眠くなってしまう性質なので必死にお水を飲ませたけど、昔と変わらたくさん料理を頼んで、高い店なのに余らせるほど馬鹿みたいに頼んだ。

 

もちろん料理はおいしかったけど、正直よく覚えてない。お酒を飲んでしまうと、そりゃおいしさに集中できないよな。

 

彼も酔っ払っているから、会話が適当な感じだった。

ああ、杏仁豆腐から胡麻団子、坦々麺に紫蘇の炒飯、北京ダック、フカヒレスープ、前菜の盛り合わせ。。。一気に思い出すのが大変なほどに食べた。

 

すっかり眠くなった彼は、タクシーでさっそうと帰った。年末はわたしのこともタクシーに乗せて帰らせてくれたのに。どこまでも適当な人。

 

結局さみしい想いをして帰ったよ。楽しかったけど、おいしかったけど、なんかやるせない。いつも奢ってもらってるくせに、なんだか贅沢かな。

 

最後にキスを求められたけど、最後まで嫌がって触らせなかった。わたしには、きちんとしすぎるほどの理性がある。

 

でも、そんな理性を壊してくれるなにかを、少し待ってしまっている自分もいる。だから、昔の恋人に会ったのだ。

 

でも、何も変わらない。わたしは今の恋人と住む部屋にひとり、のうのうと帰って、いつもの部屋着に着替え、これを打っている。なーーんにも変わりやしない。

 

一緒に帰れない関係なら、おいしい時間も、むなしくなる。

何年も前、買ってもらった指輪をつけたけど、彼は買ったことすら覚えていなかった。

まあ、そんなものだよね。

ご機嫌はひとりでもよろしくてよ

今日は久々にゆっくり寝れた。

 

彼氏が登山に出かけたので、ひさびさに部屋でひとり。

昔はひとりだと心もとない気持ちになっていたのに、すっかりひとりの時間に慣れ、むしろ楽しんでしまう自分もいる。

 

まあ、3年も同棲していればそんなもんかなあ。

 

ひとりのとき、自分の人間としての”できなさ加減”にふと出くわして、我ながら驚くこともある。

 

飲み物をすぐこぼす、キッチンもきれいに使えない、すぐに部屋が汚くなる…。

そんな自分の不甲斐なさを発見するたび、恋人の偉大さを再確認するのだった。

 

ひとりのときの楽しみ、それはとことん自分の趣味に浸ること。

恋人とはみれないような映画、ドラマ、場所に行き、自分の「好き」を確かめること。ひとりの時間はそんな楽しみ方ができる。

 

好きなものって、なんだかあんまり変わらないな。

好きな作家、映画の趣味、食べ物…大人になるにつれ、その幅は広がったとはいえ、根本にあるものは10代からさほど大きく変わっていないような気がする。

 

そして、自分の好きなものを発信することには大人になるにつれナイーブになる。

あまり声を大にしてはいえない趣味や癖だったりするから、理解してもらおうと思わなくなる。理解者が欲しい気持ちと、とはいえ自分だけが自分の好みを抱きしめられれば十分だという気持ちでいつも揺れてしまうな。

 

缶ビール、いつの間にかロング缶を飲んでも酔っ払わなくなってきた。今日はマッコリも飲んだぞ。

 

いろんなことに慣れていっている。根本は変わらないのに、外側がどんどん変わっていることに嫌でも気づく。

 

こういう変化をもっと楽しめたらいいなあ。

酔い酔いの夜よ

1年のうちで、最もだらだらが似合う長期休みことGW。

とにかく何もしないことに従事し、だらだらを極めしアラサー女のわたしが、今年はGW前日から飛ばすという意外なはじまり。

 

会社の先輩の送別会で、久々に会社のメンバーでの飲み会。

みんなの近況を聞きながら、深いことを考えず、お酒を飲む時間もたまには悪くない。

わたしは会社の人に自分のプライベートを話すことが苦手で、何度も話を振られるのだけれど、つい話を逸らしてしまう。教えたくないとか、仲良くしたくないとかではなく、なんとなく会社の人とは適切な距離を置いておきたいんだよなあ。

 

後輩がわたしの仕事ぶりを形容するときに「生産性がすごい。限られた時間で、最大限の成果を出しているし、とにかく早い」と話してくれて、そう思われてるんだ〜とふんわり意外に思った。とにかくせっかちなだけではあるんだけど。

 

わたしもいつも、この人のいいところをどんなふうに形容しようかな?と考えることがある。そういうの、ちゃんと伝えていきたいな。

 

金曜日は、学生時代から仲の良い友人2人と集まって。

友人の娘ちゃんも、会うたびに大きくなっているし、友人がどんどんママらしくなるのがなんだか微笑ましい。学生時代、たくさんの時を共有して、同じ体験をした友人たちが、大人になって全く違う人生を歩んでいることをしみじみ感じたりする。

 

大人になって異なる道を歩んでいると、友人と心が離れてしまっているのではと感じる時もある。でも恋愛の話や人生の話になったときに、くれる言葉や考えていることはやっぱり心地よく刺さるものが多く、どんな道を歩んでいても友人は友人なのだと嬉しく感じた。昨日は、ひとりの友人の恋愛の話で盛り上がったり。恋愛や関係性の難しさを嘆き合ったりして、まるで学生時代に戻ったみたいで楽しかったな。

 

恋に悩む友人とはその後、新大久保に繰り出し、韓国料理を楽しみながら飲んだ。

二人とも韓国アイドルをはじめとしたアイドル好きだから、推しの話がとまらないとまらない。推しのすきなところをペラペラ話しつつも、現在のK-POP界への不安や事務所に求めることまで語り合い、ヲタクを楽しむ姿勢まで似ていることに笑った。

 

「お願いだから、飲酒コンテンツだしてくれ〜!推しが飲んでいる姿みたいよ〜!!!」(うんうん)

 

「メンバーが自然体で話す2on2コンテンツ最高。お金かけなくていいから、もっとこういうの出してよ〜!!!!」(まじそれ)

 

「はまりすぎるのが怖い。まじでリア恋顔だから、薄目でみて直視しないようにしている。」(わかる×1000)

 

互いにオーディション番組が好きだから、過去の番組の名場面でも盛り上がったり。

「結局日プはシーズン1が最高なのよ…。コンセプトバトルのあの時…」(ぎゃーーー!)といった具合。

 

なぜオーディション番組が好きなのかと語り合った結果でた意見

・成長を見守り、かつ成長を応援(課金)できてうれしい

・周囲との関わり方など、自分にとっても学びになることが多い

・自分ができなかった青春の追体験ができる

 

そして、推しができることによって、推しをきっかけに好きになるものや知識が増えていったりして、自分の中に積まれるものが多いのも魅力…などと熱く語り合ってしまった。

 

酔い酔いのまま、2件目へ。新大久保あるあるの大画面にK-POPが流れる店を選び、注文のついでに曲もリクエスト。

快く店員さんがOKしてくれて、推しが大画面にうつりながら飲む酒のうまいことよ。

ふたりできゃっきゃ言いながらマッコリやチャミスルを飲み飲み、すっかり深酒してしまう夜でした。ふう。

 

まだGWがはじまったばかりだが、滑り出しがいいと気分が良い。

この後をソファの上だけで過ごさないように、計画を立てて楽しみたいと思う。

 

時間にも心にも余裕があると、ヲタ活もたのしい。潤う。

 

 

 

夜のすずらん

人魚の鱗のような、マニュキュアを塗った。

海を溶かした水色に、泡みたいに様々な色が反射していて、きれい。

わたしはすっかり青が似合う女になってきた。

 

今日は生理2日目で、腰はどんよりしていたけど、大好きな友人たちと会ったので心はすこぶる元気。

 

友人のうちのひとりは妊娠していて、ぽっこり大きくなったお腹が愛おしかった。

手を当てさせてもらうと、ぽこっと小さな鼓動が感じられておっかなびっくり。「これは、しゃっくりしてるんだって」と友人は優しく笑った。

 

気のおけない友人たちと昼からお酒を飲み、近況報告したり、大口開けて笑ったり。彼女たちが誰かから幸せにしてもらっていることを聞くと、こちらまで嬉しくなってしまう。みんな、幸せになる権利しかないのだから。思う存分、幸せになってやろう。

 

夕方から雨が強まり、気圧もどんよりして動けなくなった。

最近、気圧の変化にますます耐えられなくなり、動けなくなってしまう時間が増えた。

 

ソファに横になりながら、どうでもよい動画やSNSを見ていると、だんだんと気が滅入ってくる。こんな情報、私の役に立たない。わかっているのに、なんとなく手が寂しくてスワイプを続けている。虚しい。

 

SNSは心より外の部分に関して(美容とか服とか)は良い情報を与えることもあるが、心よりもっと中に響いてくるものや内面を心底変えてくれるものには出会わせてくれない。

SNSで知る知識が増えるたび、なんだかむなしくなっていくのは、心に積もっていくものがなにもないからだろうな。

 

そろそろ、心を潤してくれる時間をちゃんと取り戻したい。

 

友人は、「4月以降は月や大きなものが、始まりを祝福しているんだよ!」と教えてくれた。何かをはじめることや、何かを捨てていくのにちょうど良い季節らしい。

 

だんだん失われていく春の中、わたしの心はちゃんと上を向いていけるかな。

 

自分の心に栄養を与えてくれるものを選び取っていきたいと思う。

4月ももうすぐ過ぎていくぞ。